2018年11月26日月曜日

5年前

まだ当ブログは存在していませんでした。
しかし、今でもはっきりと思い出せる試合があります。
そんな思い出話という名の雑談にお付き合い頂ける方は続きをどうぞ。


平成25年12月7日(土)。KIRISHIMAヤマザクラ宮崎県総合運動公園にて「第4回宮崎ジュニアソフトボール大会」準決勝以降が行われました。

我らが広瀬北ソフトボールスポーツ少年団は65チームという出場チームの中、見事に準決勝を勝利し、その勢いをもって、決勝戦にて当時の覇者「住吉ファイターズ子ども会」さんに挑戦することになりました。
当時をご存じない方に補足として・・・その年の「住吉ファイターズ子ども会」さんは春季全国大会を優勝、宮崎市内、県内の大会を総嘗めに等しい成績だったと記憶しています。負けたのは夏の全国大会を含めて3回ほどだったそうです。
さらに、大会連覇がかかっていたとあって、かなりの気迫でした。新聞によると準決勝までの6試合で44得点だったとか。
そんな強豪相手に双方譲らぬ激戦の末、互いに無得点無失点のまま判定戦に突入し、0対1で惜しくも破れました。
当時の新聞が暫くの間、広瀬北小学校の廊下や玄関に飾ってありましたが、それを見る度になんとなく複雑な思いを抱いたものです。
「投手戦」とありましたが、互いに打てなかったわけではなく、どちらのチームもヒット性の当たりをダイビングキャッチでノーバウンド捕球!という好プレーがが何度もありました。あれだけお互いに飛び合う選手たちを見たのは後にも先にもこの試合だけです。
勿論、投手が良かったことは否定しませんが、それでも野手たちの気迫溢れたプレーも見事だったと思います。
しかし、個人的に印象に残ったのは、終盤の広瀬北ソフトボールスポーツ少年団の攻撃。(確か)二塁に走者がいる場面で長打の可能性が高い四番打者の登場。
今までの対戦成績やこの試合でも外野に打っていたこともあってか、外野は後方に下がっておりました。
そこで彼に出たサインは・・・・・・・・・バントでした。
打球の勢いを殺した綺麗なバントで、完全に相手の意表を突いたにも関わらず、走者は進塁できましたが、打者はアウトになりました。
結果として点数に結びつけることができなかったのですが、チームの勝利のために徹したその姿は今でも忘れません。

そして・・・、この時六年生だった団員たちは今、高校二年生。
それぞれの今後の活躍を心よりお祈りします。

尚、当時の雰囲気を少しだけでも味わいたいという方は、宮崎日日新聞社による「みやにち写真館」の「小学・中学スポーツ」にて大会の写真を見ることができますので、そちらを御覧くださいね。

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